愛する人のために人生を誤りたい。
母親に振り回され、周囲の好奇の目に晒され
ボロボロになりながらも
自分の幸せを掴もうと足掻く
少女と少年の物語
Contents
- 1 あらすじ
- 2 印象に残った場面
- 2.1 悲しい話を悲しいままで終わらせるということは、昔の俺をその物語の中に永遠に閉じ込めるということだ。
- 2.2 「なんで、わたしたちが怒られるの?」
- 2.3 「持っとるもんは全部無駄にせんで活かさなあかん」
- 2.4 「自分の人生を生きることを、他の誰かに許されたいの?」
- 2.5 「いけないことだとわかっていても、そうしたいのならそうすればいいんです」
- 2.6 「君のそれは優しさじゃない。弱さよ」
- 2.7 「『つい間違えた』わけではありません。間違えようと思って間違えたんです」
- 2.8 「自分が何に属するかを決めるのは自由です。自分を縛る鎖は自分で選ぶ」
- 2.9 「正しさなど誰にもわからないんです。だから、きみももう捨ててしまいなさい」「もしくは、選びなさい」
- 2.10 わたしは愛する男のために人生を誤りたい
- 2.11 まともな人間なんてものは幻想だ。
- 3 おわりに
あらすじ
瀬戸内海の小さな島で母と二人で暮らしている暁海(あきみ)。
父は不倫をして家に帰って来ず、母は精神を病みクリニック通いをしている。
暁海と同級生の櫂(かい)は、男ぐせの悪い母親に連れられて京都から島に引っ越してきた。
店で唯一のスナックをしている櫂の母の噂は、すぐに島中に流れ、櫂と母親は島の人から敬遠されている。
ある日、暁海は母親に父親がいる場所への行き方と地図手渡され、「お父さんの様子見てきて」と言われる。
学校帰りに気が乗らないまま漁港へ行くと、櫂が櫂の母親と一緒に居るところに遭遇する。
櫂の母親が去った後に、暁海は思わず櫂の袖を引き、一緒に父親に会いに行ってもらうことになる。
そこから二人の距離は縮んでいき、それぞれの母親に振り回されなが年齢を重ねていく。
暁海と櫂の視点が入れ替わりながら、物語は進んでいく。
印象に残った場面
私の印象に残った言葉を紹介します(*^^*)
この先は作品にネタバレを含みます。結末を知りたくない方はご遠慮くださいm(__)m
悲しい話を悲しいままで終わらせるということは、昔の俺をその物語の中に永遠に閉じ込めるということだ。
櫂視点、17歳の夏。
漫画の原作者としてデビューすることになった櫂が、
自分の過去を「生きるか死ぬかのサバイバルゲームやったわ」と笑い飛ばした時に、
笑い事じゃないと暁海が顔をしかめる場面の独白です。
ずっと同じことで悲しんでいる人は、確かに過去に捕らわれているなと思いました。
櫂はその続きで「俺はそこから抜け出して、同じ材料でまったく違う物語を組み上げたい。それが俺を救うことになる」と言っています。
悲しい出来事を土台にして、悲しいだけじゃない未来を組み上げるという発想が素敵です^_^
「なんで、わたしたちが怒られるの?」
櫂視点、17歳の夏。
櫂の母親が付き合っていた男性に捨てられ、店先で泣きじゃくる出来事があった後、暁海と櫂が店で酒を飲む場面です。
男癖が悪い母親の息子と一緒にいることで、暁海が母に怒られると言った櫂に暁海が投げかけた言葉。
暁海と櫂は櫂の母親を介抱していただけなのに、櫂の母が世間から外れた行動をするという理由だけで櫂と暁海まで周囲から白い目で見られてしまう。
小説で読んだら古臭いと思えるけれど、実際の場面では暁海の母や島の住民のように櫂や櫂の母親を疎ましく思ってしまうんだろうなと思いました。
昔から同じような状況に慣れきってしまい、傷つかないように受け流せるようになっている櫂が痛々しく、
自分に正直になると決めて素直に疑問を投げつけた暁海が羨ましい場面でした。
「持っとるもんは全部無駄にせんで活かさなあかん」
暁海視点、17歳の夏。
櫂が高校を卒業したら東京で作家をやることになり、暁海も東京の大学へ進学したいと母親に話すが、「みんな(暁海の父と暁海のこと)好き勝手ばかり」と一蹴されてしまいます。
暁海は櫂に助けを求め、櫂が不倫相手の家にいる父親に会いに行こうと提案する場面です。
父の援助を受けることに暁海は「頼りたくない」と言います。
櫂は「頼るんじゃなくて、使ったれ」と言って、
「好きとか嫌いとかそれをしたいとかしたくないの問題やあらへん。ただでさえ俺ら使えるカードが少ないんや」と暁海を叱咤激励します。
好き嫌いややる気みたいなもので、掴みたい未来が掴めなかった時ってたくさんあったなと思いました。
どうしても感情が先に来て抑えられなくて、いつか叶えたいことを諦めてしまう。
過酷な人生を歩みながら、自分の夢を諦めなかった櫂だからこそ言える、心に響く一言です。
「自分の人生を生きることを、他の誰かに許されたいの?」
先ほどのシーンの続きです。
暁海の父親に東京の大学に行きたいと言ったところ、学費は出すと言いながら「東京はなあ。あいつも大変だろうし、島から通えるところじゃ駄目なのか」と暁海の母を心配して昭美に島から通える大学に行ってはどうかと勧めます。
まぁ、自分勝手ですよね(笑)
父親のせいで母親は暁海に依存するようになったのに、自分のことは棚に上げて子どもの人生を縛ろうとするんですから。
その時、不倫相手の瞳子さんが「わたしが援助する」と言います。
瞳子さんね、めっちゃかっこいいんですよ!
母が許してくれないと言う暁海に、「お母さんは関係ない。今は暁海ちゃんの人生の話をしている」と言います。
暁海に好きに生きていいと言う瞳子に、暁海はわがままだと反論します。
その後に瞳子さんが言った言葉が、見出しの言葉です。
「自分の人生を生きることを、他の誰かに許されたいの?」
心にグサーって刺さります( ;∀;)
でもね、許されたいんですよ、ほとんどの人は。
幼いころに、生まれてきただけで許されていると教えてくれる人が少ないから。
この続きの言葉が、
「誰かに遠慮して大事なことを諦めたら、あとで後悔するかもしれないわよ。そのとき、その誰かのせいにしてしまうかもしれない。でもわたしの経験からすると、誰のせいにしても納得できないし救われないの。誰もあなたの人生の責任を取ってくれない」
めちゃかっこいい(#^^#)
父の不倫相手であり、暁海の家をめちゃくちゃにした一人でありながら、全く遠慮せずに、でも暁海のことは真剣に心配して手助けしてくれる。
暁海の母に全く悪びれない姿も自立していて素敵だなと思います(*^^*)
「いけないことだとわかっていても、そうしたいのならそうすればいいんです」
櫂視点、17歳の夏。
暁海と櫂が花火大会の会場近くで抱き合って寝ているところを二人高校に務める北原先生に見つかってしまい、後日化学実験室に呼び出される場面です。
二人は北原先生に怒られると思って行ったら、
「これは化学実験室の鍵です。使いたい時があれば事前に申告してください。砂浜ほどロマンはありませんが、少なくとも先日のようなトラブルは防げるでしょう」
と避妊具と鍵を渡されました。
困惑している二人に北原先生が言ったのが見出しの言葉。
「いけないことだとわかっていても、そうしたいのならそうすればいいんです」
自分たちがどれだけ他人の言葉や行動に縛られているのかを認識させられます(^^;;
ルールとかモラルって破ろうと思えば破れてしまうんですよね。
破った時のリスクを考えないで、成り行きで破ってしまうのは言語道断ですが、破った後のことも十分理解した上でそれでも覚悟して破るなら、それはその人が自分で責任を取ればいいということなんだろうなと思いました。
この後に櫂の思ったことが素敵だなと思います。
「北原先生は教師としてはどうかと思う。けれど良い教師と良い大人はイコールではなく、良い大人と正しい大人もイコールでは結べない」
良い大人という言葉の定義が人それぞれで難しいいですが、生徒に「やりたければやっていい」と言う教師が教師としてはどうかと思うと世間で思われていること自体が、世間が問題の根本を捉えられていないんじゃないかな?って思っちゃいました(*´-`)
良い教師だから、正しい大人だから、という物差しでは人を見極めることはできないという言葉にとっっっても共感しました♪
「君のそれは優しさじゃない。弱さよ」
櫂視点、17歳の夏。
暁海の母親が不倫相手である瞳子さんの家に火をつけようとしたため、暁海と櫂と北原先生で阻止しに行った時に瞳子さんから櫂に向けて言った言葉です。
先に櫂が瞳子さんに「一晩でええからおっちゃん返したって」と言うのですが、
瞳子さんは、こう言います。
「愛する男が毎晩別の女の隣で寝ている。それで病まない女はいないわ」
「だから一歩間違えたら、わたしが暁海ちゃんの家に火をつけてたかもね」
「わたしも奥さんももう腹は切ってる。あとは男がとどめを刺すだけ。そこで男が怖がって逃げたら、死にきれずに女がのたうち回ることになるじゃない」
しかし、櫂は納得できずに瞳子さんの話は正論で、人間は正しいばかりではないと反論します。
瞳子さんはその言葉を「優しさではなく弱さだ」と切り捨てるんですね。
「いざってときは誰に罵られようが切り捨てる、もしくは誰に恨まれようが手に入れる。そういう覚悟がないと、人生はどんどん複雑になっていくわよ」
やっぱり瞳子さんはカッコいい!
そんな覚悟ができる人ばかりではないのは重々分かっていますが、そうやって生きるのはカッコいいなと憧れますね^_^
正論やモラルがあれば、幸せに生きられるわけではないと暗に言われているような気もします…
「『つい間違えた』わけではありません。間違えようと思って間違えたんです」
暁海視点 28歳の夏。
北原先生が過去の自分の間違いについて、話す場面です。
なりゆきで島に移住してきた幸多と関係を持ってしまった暁海は、後に幸多が島の他の女性と付き合っていることを知ります。
島中の噂になり、母親の耳にも届き、「引っ越そう」と母親に言われます。
しかし、母親の病気は不安定で仕事などできる状況ではなく、ふがいなさで暁海に泣いて謝る母親の顔を見ていることができず、逃げるように部屋を出ます。
近所の浜で酒を飲んでいると、北原先生が現れました。
北原先生は「家族を支える責任がある」という暁海に、「子どもが親を養う義務はない」と言い、暁海のような状況の人をヤングケアラーだと言います。
そして、過去に生徒に手を出した話をします。
北原先生の娘がその生徒の母親であると。
「彼女とのこと、後悔していますか?」と聞く暁海に、北原先生は、
「ぼくは過去に間違えましたが、『つい間違えた』わけではありません。間違えようと思って間違えたんです」と言います。
すごい、覚悟だなと思います。
瞳子さんの「誰に恨まれようと手に入れる」という言葉も情熱的でカッコいいですが、北原先生は静かに素敵です(*^^*)
モラルにおける間違いってなんなんだろう?と思いました。
教師が生徒に手を出してはいけない理由があるとしたら、未成年だからという理由があります。
でも、実際2021年までは女性は16歳から結婚できたんです。
未成年だから大人は手を出しちゃだめなのに、未成年である16歳から結婚できるって今思えばめちゃくちゃな制度ですよね(-_-;)
じゃぁ誰と結婚するんだよって(笑)
法律は守らないと刑罰がありますが、モラルは自分が破ってでも手に入れたいものがあるんであれば、覚悟して破ることは自分にとって大事なんじゃないかなと思いました。
「自分が何に属するかを決めるのは自由です。自分を縛る鎖は自分で選ぶ」
暁海視点、32歳の春。
暁海は北原先生と結婚し、島の人との人間関係も上手くいくようになり、仕事も順調に進むようになりました。
しかし暁海は、周囲から「あとは子どもだけ」と言われ、子どもを持つ友人からは「仕事があるなら子どもと一緒に島を出るかも」と言われれます。
そんな自分は、母親に翻弄されていた時から、変わったのだろうかと疑問を抱き、北原先生に話します。
北原先生は、子供がほしいのなら協力すると言い、暁海は仕事を頑張りたいと答えます。
自分を自分で養えることは、いつでも闘えて、どこにでも飛び立てる武器だと北原先生は言いますが、暁海はどこにでも飛び立っていいといわれると心細くなると言います。
北原先生は、それはしょうでしょうと言い、この言葉を暁海に伝えます。
「人は群れで暮らす動物です。だからなにかに属さないと生きていけない。ぼくが言ってるのは、自分がなにに属するかを決める自由です。自分を縛る鎖は自分で選ぶ」
お話の後半は北原先生のカッコよさがどんどん出てきて惚れ惚れしてしまいます(笑)
暁海の住んでいる場所は島なので、都会のようには仕事がないんですよね。
だから、仕事があれば島を出たいといった友人は、旦那さんの収入に依存しないと生きていけない。
北原先生風に言うと、自分を縛る鎖を自分で選べない状態になっちゃうってことですね。
この場面を読んで、女性は仕事を少しずつでも続けていくことが、とても大事なんだなって思いました。
共働きで働かなきゃ生きていけないという状態も辛いことですが、働かなくてよくても稼ぐ能力を残しておく必要はあるなーと思います。
「正しさなど誰にもわからないんです。だから、きみももう捨ててしまいなさい」「もしくは、選びなさい」
暁海視点、32歳の春。
暁海は、櫂の母親に、櫂が胃癌になり、東京で入院しているから手続きをしに行ってほしいと頼まれます。
自分の息子が苦しんでいる姿を見たくないと、一度も見舞いに行ったことがない櫂の母親に呆れながらも、暁海は櫂の入院に必要な書類を受け取ります。
家に帰り、北原先生に櫂が癌であることを伝えます。
すると北原先生はすぐに東京へ向かうように言い、準備を始めます。
優しすぎる対応に動揺する暁海に、北原先生はこう言います。
「きみが本当になにかを欲したときは、必ずぼくが助けようと決めていました」
「何度でも言います。誰が何と言おうと、ぼくたちは自らを生きる権利があるんです。ぼくの言うことはおかしいですか。身勝手ですか。でもそれは誰と比べておかしいんでしょう。その誰かが正しいという証明は誰がしてくれるんでしょう」
「正しさなど誰にもわからないんです。だから、きみももう捨ててしまいなさい」
「もしくは、選びなさい」
めっちゃ泣きました(´;ω;`)
ずっと心に秘めていた疑問を解き明かしてくれたような気持ちです。
数学には正しい答えがあるけれど、生き方には正解も不正解もないはずなんです。
でもみんな正しい生き方を求めて、自分が正しいと信じて、誰かを非難する。
それぞれの生き方を肯定できるような世の中になればいいなと思いますね。
わたしは愛する男のために人生を誤りたい
上の続きで、車で空港まで向かう途中の来島海峡大橋を渡っている時に暁海が心の中で言った言葉です。
心に響くというかなんかね、切ない。
捨てていったものがどれだけ大事かわかっているから、この言葉が出てくるんだろうなと思います。
母親や島での暮らし、結婚してくれた北原先生。
どれも大事だけど、自分の心に従ったら捨てなければならない時もある。
暁海の行動は、外から見たら、簡単に北原先生を裏切った女に見えるのだろうけど、暁海自身は失う覚悟をして、それでも掴みたい幸せを掴みにいったんですね。
昔映画やドラマになった、『恋空』という小説があります。
それは高校~大学生のお話で、似たように元の恋人を選ぶという話なんですが、『汝、星のごとく』の方が年齢を重ねている分の重みがあるように思います。
暁海が高校卒業と同時に櫂と東京へ向かっていたら、恋空のようなもっと若々しいドラマがあったのかもしれませんね。
まともな人間なんてものは幻想だ。
櫂視点、32歳の春。
暁海と櫂が、櫂の入院中の病院で再開し、笑いあう場面です。
櫂自身や、暁海や北原先生、相方の尚人、担当編集者の植木さん、いろんな人に出会って、その結果が「まともな人間なんて幻想だ」という答えなんですね。
あまりにも世間と違う生き方をする母親に育てられて、世間と違うと白い目で見られて生きてきたからこそ、「まともな人間」に固執していたのだろうと思います。
それが亡くなる間際だったとしても、「誰が作り出したかわからないもの」と気づいて、自分自身を生きていいんだと気づけて、よかったです(*^^*)
おわりに
いかがでしたでしょうか?
『汝、星のごとく』の魅力が伝わっていたら嬉しいです。
櫂と暁海がこの後どうなるのかは、ぜひ読んで確かめてくださいね。
今までの当たり前が覆されて、新しい考えに出会えますよ♪
コメントを残す